い や し の 傷

堺ブロックチーム アルマンド神父 

 

復活祭の日曜日に私達はイエス様の復活と死と罪への勝利を祝います。そして、イエス様の復活後、弟子の前の出現についての話しの中の一つを皆様と一緒に黙想したいと思います。この話の中で復活されたイエス様はまだ手足に傷跡が残っています。この傷跡は苦しみを受け、十字架につけられ、死者の中から復活された印です。苦しみの印がある神様が私達のことにとても関心を寄せています。それは傷跡を持つ神様が私達の痛みを理解し、癒やしてくださるということです。

 

今日、沢山の偽預言者がいます。もし誰かが『私はキリストだ』と言えば私達は『傷跡を見せてください』というでしょう。聖トマスのことを思い出します。彼は自分の目でイエス様の苦しみの跡が見えるまで、イエス様の復活をただの作り話だと思っていました。救いの神様は同時に苦しんでおられる神様です。イエス様は、恐れ不安に満ちた弟子達に自分の傷跡を見せて彼らの前に立つ人、弟子達が愛し従った方だと話しました。キリストがよみの国で過ごした三日間は彼を変えませんでした。弟子達が集まる部屋にキリストが現れ死者の中から復活されても以前と変わらない憐れみを弟子達に示しました。

 

復活されたキリストは傷を持っておられます。傷跡は消えていませんでした。聖トマスは傷跡に触って初めてイエス様が復活されたと認めます。復活、神様の勝利、死への大きな勝利は傷跡を消すことは出来ません。復活されたイエスは死から命へと移り墓から出て勝利を得ました。イエス様の姿を見て弟子達はイエス様が幽霊だと勘違いしたとルカの福音書に書かれています。聖トマスは彼らに言いました「私はその手に傷跡を見、私の指を傷跡に入れ。私の手をそのわき腹に差し入れて見なければ決して信じない。」この言葉は聖トマスの不信心を表すことではありません。彼は又言いました。「私はイエス様だと信じません。イエス様には傷跡があるので傷跡に触れたらイエス様だと信じます。」

 

復活は神様の死への勝利だと信じます。神様は最後の戦いに勝ちました。しかしながら、この世では私達の痛みと死は現実のものであり復活されたキリストは来られてご自分の傷跡を見せ、私達に憐れみを示しそして私達の痛みが、私たちの周りで苦しんでいる人達を癒す機会になることを教えてくださいました。そのために私達は苦しみの中にある人々に対しての私達の態度を見つめ直さなければなりません。時々私達は信者同志で不思議に期待することがあります。つまり、他の人に対する私達の態度は次の様に暗示しているようです。「もし、あなたが本当にキリスト教信者であるなら、いつも喜びと平和を感じているでしょう」と。しかし実際には信者でも大きな悲しみを抱えていることがあります。その人に何があったのでしょう。信仰が弱いのでしょうか。なぜその人は悲しみを乗り越えられず信仰を持ち生活をすることが出来ないのでしょうか。

 

私達は批判する前に私達自身を見つめなければなりません。現実には私達は皆自分の傷を負っているのです。自分の傷を隠すことが上手な人もいますが私達は皆傷を持っています。私達の信仰は大きな喜びをもたらしますがそれでもまた私達は罪深い心の傷を残しています。人間である限り心の傷を持っています。皆辛い経験の傷跡を残しています。その傷は手で触れ、目で見えることが出来ないかもしれません。でも、その傷は私達の一部となり、神様はその傷を良い目的のために使うことを望んでおられます。